走り抜いたね、素敵だね。
有森さん
かかと踏んだ奴だれだ?…ま、いいっか
(記事引用)
有森裕子 傷だらけのラストゴール (スポーツニッポン)
両手を合わせてゴールする有森
有森が血染めのラストラン!日本で初めての大規模都市型マラソン、東京マラソンは18日、西新宿の東京都庁前から臨海副都心の東京ビッグサイトまでの42・195キロのコースで行われ、現役最後のレースに臨んだ五輪連続メダリストの有森裕子(40=リクルートAC)は22・7キロ付近で他のランナーと接触して転倒。両手、両ひざに裂傷を負い、血を流しながらも見事に42・195キロを走り抜いて5位に食い込んだ。史上初めて3万人のランナーが都心を走った歴史的大会で、日本の女子マラソン界を引っ張ってきたヒロインが静かにシューズを脱いだ。
凍えるような氷雨が降り続く中、有森がゴール地点に姿を見せると、スタンドから一斉に歓声が上がった。全盛期のようなスピードはない。笑顔もない。それでも人生最後の42・195キロを走り抜いたヒロインは両手を胸の前で合わせてゴールすると、後ろを振り向いて深々と頭を下げた。約8秒間。それがこれまで自分を支えてくれたすべての人たちに対する有森流のお礼だった。
12度目のマラソンで初めて体験する雨と寒さ。足の動きが鈍った22・7キロ地点でアクシデントが起きた。後ろのランナーにかかとを踏まれ、手を突くひまもなくもろに地面に叩きつけられた。衝撃のあまりゼッケンが吹っ飛ぶ。骨盤を強打し、両手のひら、左ひじ、両ひざからは出血した。激痛で30秒近く立ち上がれなかった。一瞬、「このままゴールできないかも」と弱気になった有森を救ったのは沿道のファンの温かい声援だった。「すべての人がみんな“有森、有森”って叫んでくれた。こんなに名前を呼んでもらえる私はいったい何なんだろうと涙が出てきた」。レース中にこぼれ落ちた大粒の涙はゴールしてからもしばらく止まることはなかった。
決して順風満帆な選手生活ではなかった。股関節脱臼の状態で生まれ、歩けるようになったのは普通の子供よりはるかに遅かった。今も左右の足の長さは微妙に違う。岡山・就実高でも日体大でも無名で、リクルート入社時には小出義雄監督(当時)から「マネジャーなら」と入部を認めてもらったほどだ。トップ選手になってからも足底筋痛や座骨神経痛に悩まされ、何度も挫折しそうになった。それでも五輪でメダルを2つも獲得できたのは、ひたすら自分を信じ「気持ちさえあれば何でもできる」と言い聞かせてきたからだ。その信念はラストランでも少しも揺らぐことはなかった。
「最後をこういう形で終えられて、私なんかにはもったいないくらい。きっとこれから先の人生は甘くないでしょう。でも、マラソンでできたことは他でも必ずできるはずです」。たくさんの人々に夢と希望を与えてきたマラソンランナーとしての生活は幕を閉じた。だが、人生のマラソンはまだまだ続く。ありがとう有森裕子。そしてこれからも、頑張れ、有森裕子!
▼有森 裕子(ありもり・ゆうこ)1966年(昭41)12月17日、岡山市生まれの40歳。就実高、日体大を経て89年リクルート入社。92年バルセロナ五輪銀メダル、96年アトランタ五輪銅メダル。98年に米国人のガブリエル・ウィルソン氏と結婚した。プロランナー「第1号」として活躍し、02年にマネジメント会社「ライツ」の取締役に就任。国連人口基金親善大使、国際陸連(IAAF)女性委員などを務める。1メートル65、48キロ。
[ 2007年2月19日6時1分 ]
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